『D’ERLANGER』を知ったのは解散後
さて、なんかブログに記事を書きたいけど
7月15日マイナビBLITZ赤坂『D’ERLANGER』
までライブ参戦予定がないので
正直、ネタがない。どうしたものか。
よし。あまり内容がない、テキトーな
やっつけ記事でも書くか。
というわけで、今回は番外編。
オレが『D'ERLANGER』を知ったのは18歳の頃。
高校を卒業して就職のため沼津から横須賀へ。
沼津はROCKが栄えていない《ロック後進国》
だったので、一刻も早く都会に出て
バンドを組みたかった。(当時バンド童貞)
なのでヒマさえあれば職場の寮で
『BUCK-TICK』のコピー練習ばかりしてた。
※hideモデルのモッキンバードなのに
『X』のコピーは断念したっていうのは内緒だ
この職場は全国からいろんなヤツが来てて
《バンドやってました》ってのが何人かいた。
暴走族もいっぱいいたけどw
その中の千葉から来たバンド経験者の
カッコ良い兄ちゃんと仲良くなった。
「『デランジェ』知ってる?」
「何ソレ」
「ギターやってるヤツが知らねえの?」
「( ´・д・)エッ」
すぐに横須賀の街に出て
CD屋さんで揃えましたよ。
【LA VIE EN ROSE】と【BASILISK】。
※ボロボロ
まず、歌詞カードをパラパラ見て
あれっ!?このドラムの人見た事ある。
『ZI:KILL』の【DESERT TOWN TOUR 1991】
ってVHSビデオ(時代だね)で叩いてた人だ。
(『ジキル』は沼津時代から知ってた)
同じTETSUって名前だし。
へぇ、あのドラマー元『D'ERLANGER』だったんだ。
この時は『D'ERLANGER』解散後、『BODY』結成前の
頃のお話なので実はオレ、リアルタイムの
『デランジェ』は知らんのですわ。
この千葉のイケメン兄ちゃんは、熱狂的な
CIPHER信者で、サイファー先生って呼んでた。
当時ギター初心者だったオレは ← 今もや
Fコードを押さえるのが苦手だったんだけど
この千葉イケメン兄ちゃんが
「CIPHER先生のやり方でやってみたら?」
ってシェイクハンド型のFコードを教えてくれた。
おぉ、弾きやすい。
※普通のFコード
※CIPHER型?Fコード
しかし、2019年現在CIPHERが
シェイクハンド型のFコードを
実際にやっているか確認は取れていない。
ギタリスト目指すなら“LULLABY”と
“Moon and the Memories”は
弾けて当たり前って言われたんで
一生懸命練習したよ。
とか
とか。
“LA VIE EN ROSE”
“SADISTIC EMOTION”
“an aphrodisiac”
“DARLIN'” etc...
まあ、当たり前だけど
カッコ良いのがいっぱい。こんなの
聴いたらもれなくファンになるわ。
他にも
“LAZY SLEAZY”
→なんか不思議な曲。変化球的なカッコよさ
というか。うまく表現出来ないけど
もっと評価されてもいいと思うの。
“INCARNATION OF EROTICISM”
→『B-T』の“ICONOCLASM”と同じくらい衝撃
これも、もっと評価されてもいいと思うんだ。
さっきも書いたけど、オレが『デランジェ』を
知った時はすでに解散してたのね。
だから『ボディ』結成の記事を雑誌で見た時は
スゲー喜んだし、【FLAME】1曲目“MY SELF”を
聴いた時はカッコ良すぎて漏らした。
漏らしたはウソだけど、たしか泣いた気がする。
まあ『BODY』の話は、またブログネタが
尽きた頃にでも・・・
※おまけ
※【LA VIE EN ROSE】のバンドスコアより